2004年07月10日
私がアフリカで一番行きたい国はナイジェリアです。
正確に言えば興味がある国でしょうか。
なぜわたくしがナイジェリアに興味があるのか。
それは3年前に遡ります。
南アフリカで会った不運な男性N氏。
彼は西アフリカ~中央アフリカを周っていました。
彼が一番面白かった国はナイジェリアでした。
エキサイティングな国らしく、
強盗、誘拐はよくあることで、活気がありすぎて、
死体が転がってるのも普通らしいです。
人口多いですしね。
そんでもってアフリカ最大の産油国であるナイジェリアは、
毎年120億ドルの外貨収入があるそうですが、
そのうち100億ドルは使途不明金として消えるそうです。
8割が消えるってこの国の金融財政の役人は何やってるんでしょうね。
死体が転がってるというお話だけでも胸がワクワクしますが、
ナイジェリアの凄さはそれだけではなく、
何と人肉市場があるとの噂。
彼もその噂を聞きつけて、一目見てみたいと地元の人間に聞きまわりますが、
誰一人場所を教えてくれません。
「そんなものはない」
否定するそうです。
しかし一人だけ教えてくれたそうです。
「実在するけど場所は教えられない」
そりゃまあ、あっても教えませんよね。
アムネスティやら国連やらに非難浴びるのは目に見えてますしね。
自国の醜聞ですしね。
見学に行って自分が市場に吊るされる可能性の方が大きいですしね。
でも人口が爆発的に増えてるこの国なら、
ありうる話のような気がするのですが。
こんな事書くとナイジェリア大使館から抗議が来ますかね。
つーかこんな弱小ブログまず見ませんよね。
日本語ですしね。
ちなみにナイジェリア大統領の名前は、
オバサンジョ大統領です。
2004年06月08日
久々のグロ話です。
今回はグロというよりも人間の本質に迫るお話です。
———————————————–
それは制服に身を包んだ高校生の時のお話でございます。
ある晩、姉が車で出かけていきました。
家にはわたくしと母が留守番です。
リビングのソファーに座っていると突然、
「キャーーーーーーー!!!!!!!!」
姉の悲鳴が聞こえました。
驚くわたくしと母。
大急ぎで玄関へと突っ走り、外へ出ました。
するとポーチに男が立っているではありませんか。
右手に刃物を持って。
最初に外に出たのは母でした。
そして男が刃物で母を切りつけました。
「ギャーーーーーーーーーーー!!!!!!」
悲鳴を上げる母。
手を押さえています。手を切られたようです。
実況中継してる場合ではございません。
命の危険が迫っています。
「やばい。今度は私が刺される番だ。
まだ死にたくねー!イヤだー!!!!!!」
そして私が取った行動は、家に戻り鍵を閉めることでした。
切られた母を置いて。
まさに鬼畜です。
鬼畜と言わずして何と申しましょうか。
母を助けて男と格闘するべきなのに、
自分の身かわいさに安全地帯へと一人逃げ込んだのです。
家に入って鍵を2重に閉めると、男もドアをガンガン叩いてます。
鎧戸もガンガン叩きまくっています。
この時ほど鎧戸をありがたがったことはありません。
ガラスだったら、いとも簡単に破られていたことでしょう。
そしてこれまた急いで警察に電話しました。
生まれてはじめての110番です。
「母が刺されましたー!!!!!」
的確です。
そのとおりです。
でもその前に住所を言いましょう。
この辺りに、大慌ての様子が伺えます。
冷静でいられるわけがありませんが。
電話の次は近所への救援です。
母と姉は外に出たままですから、
(つーか私が締め出してるので中にも入れない)
近所の方々にこの状況を知らせて、
母と姉を捕獲してもらわないことには、
夜もおちおち眠れません。
「誰か来てーーーーー!!!!!人殺しーーーーー!!!」
的確です。
そのとおりです。
でもここでわたくし、致命的なミスを犯してます。
「人殺し」と聞いて、むざむざ外に出る人はいないのです。
誰も殺されたくありませんから。
人に注目をさせ、且つ野次馬を外へと排出させるには、
正解例)
「火事だーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「下着泥棒ーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「ブラピがいるわーーーーーーーー!!!!!!!!!」
上記の例が無理なく人を戸外へおびき出す方法です。
今度は間違わないようにしたいものです。
さて、大声で叫んだ効果が少しはあったのか、
人のざわめきとパトカーの音がしました。
「助かった・・・・」
的確です。
そのとおりです。
自分だけ家の中にいるんですから、助かって当たり前です。
まずは自分が助かったことを確認して、
次に母のことを思い出しました。
殺されてたらどうしよう、と。
警察が来ました。
パトカーの音を聞いて出てきたのでしょう。
外へ出ると、大勢の人がいます。
姉は車で逃げていて無事でした。
肝心の母は、手を押さえながら人に付き添われていました。
出血はしているものの無事でした。
そして犯人も逮捕され、通り魔事件は一件落着したのです。
(しかし精神科に通院歴があり罪にはならなかったようです)
後で母に話を聞くと、
私に締め出しをくらった後、隣のアパートに逃げ込み、
アパートの床は血だらけ。
そして近所の家に救助を求めたそうです。
本当に生きててよかったです。
もし死んでいたら、間接的に私が殺したことになりますから。
罪は問われなくとも、
一生十字架を背負い、生きていかなければならなかったでしょう。
人間、いざという時に本性が現れます。
この一件で、
いかに自己本位であるかが身にしみてわかりました。
あまり知りたくない本性を目の当たりにし、
己の汚さを見せつけられ、かなり落ち込みました。
思い出しつつ書いてる今も。
2004年05月24日
北京で毛沢東の死体を、
ハノイでホーチミンの死体を見てきました。
あ。遺体って言った方がいいでしょうか。
でも死体で行きます。
社会主義国は、党の偉い方を防腐処理するのがお好きなようです。
調べただけでも、
旧ソ連のスターリン
ブルガリアのゲオルギー・ディミトロフ
モンゴルのチョイバルサン
チェコスロヴァキアのクレメント・ゴットワルト
アンゴラのアゴスティニョ・ネト
ガイアナのリンドン・フォーブス・バーナム
北朝鮮の金日成
ずらっと出てきました。
こうしてみると結構多いものですね。
私は2体しか見てませんが、
どちらも蝋細工のようにつやつやしてるんですよ。
不自然な光り方なんですけど。
有名人の遺体を巡る旅ってのもいいかもしれませんね。
今日はちょっと疲れてるので、キーを打つ手も重けりゃ、
文章も冴えません。
申し訳ございません。
明日はがんばります。
おやすみなさい。
2004年05月21日
話は飛びまして、学生時代のお話です。
ホワワワワ~ンは飽きたのでもう止めます。
学校の講義で解剖学がありました。
先生は心の底から「解剖大好き!」という嬉しさが滲み出てる方で、
授業は一人でぺらぺらと専門用語を使いながら、
骨や筋肉について説明していました。
おそらく人体の構造にはまり過ぎて、
生身の対人間関係においてはコミュニケーション下手という
典型的な研究者体質だったような気がします。
さていつものように講義を聞いていたら、
「えー。今度の○曜日、講義後に人体解剖の講義をしますので、
参加したい人は来て下さい」
「えー!!!解剖???いやー!」
教室はどよめきました。
女子ばかりのクラスですから、みんな動揺しています。
もちろん私はそれを聞いてすぐに参加を表明しましたが、
解剖当日には怖いだのなんだの言ってた子達も参加しており、
結局クラスの大半が参加していました。
解剖室は地下にありました。
学部の3年生は人体解剖が解剖学の必修で、
何班かに分かれて人体解剖を行います。
それが終わった教室をそのまま使い、私達の臨時の解剖講義が始まりました。
部屋はホルマリンの匂いが充満しており、
この匂いだけでまいってる人もいます。
遺体はすでにホルマリンに漬かっているため、黄色く変色しています。
外形は人間の形ですが、
すでに頭や内臓は解剖が始まっており、切られています。
先生はいつもよりも嬉しそうに実習を開始しました。
私も気合を入れて一番前で鑑賞することにしました。
「それではまずこちらの方から」
と言って内臓を触る先生の手は素手でした。
手袋をしてません。
え?ホルマリンで劇薬だよね?触って大丈夫なのか??
てゆーかすっげー幸せそうにしゃべってないか?
信じられません。
絶対おかしいです。
素手で腹部を開き、内臓を取り出して意気揚々と説明する様は、
目の前の遺体よりもグロテスクそのものでした。
あまりにもその印象が強烈だったため、
残念ながら解剖の内容はほとんど覚えていません。
2004年05月20日
ひき逃げを見た数年後のお話をいたしましょう。
あれは小学校低学年の時でした。
ホワワワワ~ン
その頃は社宅のアパートに住んでおりました。
アパートは敷地が広く、4階建てで2棟あり団地のようでした。
滑り台やブランコなど子供の遊べる簡素な公園もありました。
大きな柳の木がある家の前の広場は、一段下がっているため車は入れません。
そこは子供たちの格好の遊び場になっていました。
柳に登ったり、だるまさんが転んだをしたり、鬼ごっこをしたり、
実に元気に遊んでおりました。
さてある日の午後、この広場で友達とバドミントンをしていました。
車も来ないため、バドミントンをするには格好の場所です。
1時間くらい遊んだでしょうか。
バドミントンで軽く汗をかき、家に戻りました。
広場には他に誰も遊んでる人はいませんでした。
しばらくしました。
外で誰かが騒いでいます。
もしかしたらキャーキャー叫び声がしたような気もしますが、
記憶が定かではございません。
何が起きたのかと広場へ飛び出したら、
首吊り死体があったのです。
先程までバトミントンをしていた柳の木の下に。
第一発見者はここで遊ぶ子供でした。
私達がバドミントンをしている時は、
確かそんなものはぶら下がってなかったと思います。
ということは私達が引き上げた後に、首を括ったということになります。
もしかしたら私達がいなくなるのを見計らって、
どこかで待っていたのかもしれません。
それ以来、誰もここの柳の木には近づかなくなりました。
広場で遊ぶ子もいません。
それでも部屋から見えるのです。
柳の木が。
アパートの出口が柳の木の傍なのです。
中学に上がると同時に引っ越しましたが、
それまでは夜帰るのが怖くて怖くてたまりませんでした。
2年前ほど前にそこはアパートごと取り壊され、
今では新しいマンションを建設しています。
きっと柳も伐採されたことでしょう。
それでも私は今でもあの場所に近づくことができません。