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2009年12月19日

息子行方不明事件

もうすぐ幼稚園も冬休みに入ってゆっくりできそうな時期に
とんでもないことが起こりました。
幼稚園が終わると、園児達はいつものように山のある公園を登ったり降りたり、
あちらこちらで探検をしています。
年少の頃は探検に行ったまま戻ってこないと悪いので、
金魚の糞のようについて回っていましたが、
今は親達のいる場所へ帰ってくることを覚え、
そこまで走り回ることはなくなりました。
その日も園児同士2人で山を登って行った息子の姿を見届け、
しばしお母様と話しておりまして、
戻ってこないからちょっと見てこようとわたくしも登ったのですが、
息子はいません。
幼稚園の庭や、他に園児が集まっている場所を覗きましたが、
息子とお友達の姿がありません。
そこへ同じように息子さんを探しているお母様に出くわしまして、
3名を探すことになりました。
おおかた箱根山に登っているのだろうと階段を登りましたが、
頂上にはいません。
あたりを見回し、大声で名前を呼びながら公園で行きそうな場所を探しますが、
いません。
一緒にいなくなったお母様達もまだ見つけられないということで、
他のお母様方にも手分けして探してもらうことになりました。
電話で『○○を探した。今度は××へ行く』と連絡を取りながら、
必死の捜索です。
自転車で早稲田の文学部方面や公園内のトイレも探しますが、
いません。
明治通り側の公園も探しますが、いません。
すると新情報が回ってきました。
国立医療センター前の警備の方が子供3人組を見たというではありませんか。
すでに公園を出ていったようです。
そうこうしているうちに1時間半が経ち、
辺りも暗くなり始めてきたので、
交番のアドバイスに従って110番することにしました。
その後も捜索を続けようと自転車で自宅方面に向かっている途中に
見つかったとの連絡が入りました。
一緒にいなくなったお友達の家の前で3人で遊んでいたそうです。
もしやと思った幼稚園のとあるお母様が自転車で見に行ったところ、
楽しそうに遊んでいたとのことです。
その知らせを聞いて安堵すると同時に、怒りが湧き上がってきました。
その怒りのパワーを動力に、
7%勾配の箱根山通りを人力自転車で登りきりました。
毎日怒っていれば電動自転車も不要です。
そして、息子を含めた園児3名を1人のお母様がタクシーで迎えに行き、
幼稚園に連れてきて、身柄確保後110番で通報解除をすることになりました。
それまでは交番の方の簡単な事情聴取です。
心配で心配でハラハラしていた母達とは裏腹に、
幼稚園に戻ってきた息子達の顔はキラキラしていました。
手にはそれぞれグレープフルーツや、メジャー、
ガチャガチャの空きケースを持っています。
とてつもない冒険をしてきたようで満足顔です。
しかし交番の方から『子供だけで出かけてはいけない』
というようなお話していただき、
次に担任の先生、主任の先生からお話していただき、
さすがに息子達も悪いことをしてしまったと思ったようで、
しょんぼりしています。
「家に帰ったらこってり絞ってやるから覚悟しとけよ、このやろー」
と心の中で思いながら、お母様達とお別れしました。
それなのに息子は自転車で寝てしまいまして、
そのまま21時頃まで死んだように寝ていました。
ルートを見ると2km近くを歩いたようで、
相当疲れたのでしょう。
息子が起きて落ち着いたところで、
わたくしも頭ごなしに叱ることはやめて、
言葉を選びながら諭すように話しました。
するとそれまで泣かなかった息子の目に
涙が溜まっていくのがわかりました。
息子もわかってくれたようです。
年少時に脱走御三家と言われていた息子。
他の2名は御三家から抜けたのに、息子だけが今も現役です。